堅田遺跡

更新日:2023年06月15日

歴史が変わる大発見 堅田遺跡の全貌

 1999年2月に発掘された堅田遺跡は、弥生時代前期(今から2,200年前)に営まれた環濠集落です。調査によって日本最古のヤリガンナの鋳型と青銅器を溶した溶炉遺構が発見され、弥生文化は西日本へ一気に入ってきたのではないかと一躍注目されました。
 いままでは、朝鮮半島から北部九州にもたらされた農耕文化をもとに弥生文化が成立し、東へ広がったと考えられていましたが、遺跡から出土の土器・石器等から縄文時代終わりころ大陸から瀬戸内に渡来した集団によって弥生文化が生まれ、前期後半にはどうも瀬戸内を中心にして一つにまとまる環瀬戸内圏が成立し、東方への開発拠点として堅田遺跡の集落が造営されたようです。

遺構
3条の環濠

3条の環濠

3条の環濠

環濠外の住居

環濠外の住居

環濠外の住居

日本最古の青銅器ヤリガンナの鋳型と溶炉遺構

 出土したヤリガンナの鋳型の破片は砂岩製で、握りこぶしくらいです。残っていた鋳型面は強い熱を受けて黒変し、その形状から鋳造されたヤリガンナは幅3センチメートル、長さ20センチメートルの大きさであったと考えられます。
 また、銅を溶かした溶炉遺構が発見されています。簡単な覆屋中央に堀り下げた1.80メートル×1.25メートルの楕円形の穴底に、まず土を敷き固めて基礎をつくり、その上にカマド状の炉を築いたもので炉底のみが残っていました。鋳造遺構の資料としては非常に貴重なものです。

溶炉遺構の復元図

溶炉遺構の復元図

溶炉遺構の復元図

推定復元図

推定復元図

推定復元図

溶炉遺構と覆屋根

溶炉遺構と覆屋根

溶炉遺構と覆屋根

ヤリガンナの鋳型

ヤリガンナの鋳型

ヤリガンナの鋳型

各地域とのつながりを示す土器

 出土した土器の中には、伊勢地方の壷や条痕文を施した三河西部の壷・甕、結晶片岩を含む紀北や角閃石を含む生駒西麓部の壷・甕、和泉産の特徴を示す多条の沈線に幅広の沈線を組み合わせた無頸壷などの搬入土器が多く認められます。
 このほか、地元で作られた土器には三角形・竹管形・円形列点文や沈線山形文を描いたり、円形・棒条浮文や口縁部内面に1条の刻目突帯文・山形浮文や数条の突帯文を貼り付けた中部瀬戸内(播磨・備前・伊予)、あるいは板端を使って刺突された列点文(安芸)、口縁部内面に粘土帯を貼った鋤先状口縁・複状突帯など西部瀬戸内(豊前・長門)の属性をもつ土器が見つかっています。これ以外で、朝鮮半島とのつながりを示す土器があり、堅田遺跡の集落が普通では考えられないほど広範囲の地域と交流があったことが窺われます。

各地域とのつながりを示す土器

堅田遺跡パンフレット

 堅田遺跡は、紀勢本線御坊駅から徒歩で約30分南西へ行ったロマンシティー・オークワ御坊店周辺に所在、店内のロマンギャラリーでは出土遺物の一部が展示されている。このほか、御坊市歴史民俗資料館においては全国的に注目されている本遺跡を取り上げ、広く県内外の方々にもその重要性を知っていただくため、溶炉遺構をはじめ土器、石器、木製品のすべてを展示しております。

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