御坊ゆかりの先人たち 黒田 隆司

更新日:2023年06月15日

一本の杭

黒田 隆司

 直接に会ったことがない人にも「日高高校の黒田先生」「野鳥の黒田先生」と呼ばれ、広く市民に親しまれていた黒田隆司。その人をひと言で語るなら、自然と生命あるものに対して限りない愛情をもった人だと言えます。
 県立日高高等学校の生物科教師として40年。同校ひと筋に勤め、指導する生物部の生徒たちとともに野鳥の保護と観察を通して、広く郡市民にも野鳥への関心を高めて、故郷の自然を守ろうと努めてきました。その功績は、多くの賞や表彰といった形あるものでは表しきれないほど大きいものです。
 黒田は昭和4年(1929)5月10日、日高郡藤田村吉田(現御坊市藤田町吉田)で、小学校教員の父重蔵と母カツの間に5人兄弟の長男として生まれ、貧しくとも常に父母の深い愛を感じながら育ちました。
 「自然は頭で考えるものではない。肌で感じるものだ」野を歩き、山に登り、川で泳ぎ、木の実を採り――そうして四季の移り変わりを花や風に感じながら、幼い頃から自然に対する観察力は人一倍すぐれていました。
 藤田小学校5年の時(昭和16年)に第2次世界大戦が始まり、戦争が激しさを増す頃、担任の先生から、「これまで書いてきた作文は、立派な遺稿集になる」と聞かされた黒田は、小学校入学以来の作品を『いたおよぎ』と題した文集にして残すことにしました。この1冊の文集からは、黒田の人となりを十分に知ることができます。
雲にも月にも、田に水を引く水車にも、また植木鉢のコケや春に芽吹く雑草まで生命あるものとして見つめ、羽化する昆虫のサナギを観察したり、金魚の死に涙したり、父親と採ってきたホタルには、「ばんになりほたるをまくらもとにおいておきました。よがあけましたほたるはすやすやねむっていました。」(小学2年、原文抜粋)と、どんな小さな生命にも優しい心を注ぎ、思いやりと尊重を忘れない少年でした。
 昭和17年4月、県立日高中学校(現日高高校)に入学。卒業の21年に生物部を発足させて、広島高等師範学校生物科(現広島大学教育学部)へ進学。卒業後、日高高校に着任して生物部顧問となり、以来、多くの生徒に自然の厳しさと素晴らしさ、生命の大切さを教えてきました。
 「自由にさせないと自主性が育たない」との教育方針から、山地の奥深くを歩き回る野鳥観察の合宿では、マムシや蜂など生命にかかわることには、うるさいほど注意するけれど「好きなことをやれ。責任はもつ」と生徒に自由に計画を立てさせて、自然の中で生きていく知恵と人の和を学ばせました。
 黒田の指導の下、その思いを受け継いだ生徒たちの熱心な活動で、生物部は市民から持ち込まれた傷病鳥の保護をはじめ、県下の野鳥分布や渡り調査などで有名になり、継続的な調査実績は自然保護の基礎資料として高く評価されました。
 日高川が銃猟禁止地区となったのも、近隣町でウミネコ産卵期の立ち入り禁止地区を実現させたのも、黒田と生徒たちの声でした。日高川で安心して羽を休める渡り鳥の姿を見る時、黒田と生物部の卒業生、生徒たちが故郷の自然に残した掛け替えのない、大きな財産を知ることでしょう。
 穏やかで愛情深く、その広い懐に誰でも受け入れてくれる黒田を慕って、40年間に集まってきた生徒は数知れません。中には大学教授や生物学研究者もいますが、故郷に残って黒田の志を守り続けている者も少なくありません。
 そのような生徒たちと「常に、共に在りたい」と願っていた黒田は、自らを「私は、川の中の一本の杭であり、その周囲を生徒たちが流れていってくれればいい」と話していました。しかし、生徒たちは流れていってしまうことなく、卒業後も黒田の元を訪れ、後輩の指導や自然保護活動への参加を続けて、一本の杭の周りには教え子たちが作る人の輪(和)が渦巻きを大きくしていきました。
 日本学生科学賞の11年間にわたる学校賞や最優秀賞をはじめとする記録的な連続入賞。朝日森林文化賞ほか、県知事表彰、文部大臣表彰、環境庁長官表彰など、黒田が指導し続けた生物部の功績は、その歴史にもなっています。黒田本人も県教育賞、御坊市文化賞、日本鳥類保護連盟会長賞を受けていますが、黒田は自分への名声や評価には一切こだわらず、黙々と自分のするべきことをしているという風に、その生き方もまた自然体でした。
 黒田がよく口にし、自己の原点となったペスタロッチの『シュタンツだより』21節、「私は彼等と共に泣き、彼等と共に笑った。彼等は世界も忘れて、私と共におり、私は彼等と共におった」
 その言葉を教え子たちの胸深くに残し、平成12年(2000)4月21日、自然を愛し、生命を慈しんだ黒田の70年の人生は静かに幕を下ろしました。

北海道にて

北海道にて (1998年)

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