熊野参詣道紀伊路(塩屋王子跡、愛徳山王子跡北東参詣道)
名称:熊野参詣道紀伊路(くまのさんけいみちきいじ)
塩屋王子跡(しおやおうじあと)
愛徳山王子跡北東参詣道(あいとくさんおうじあとほくとうさんけいみち)
指定区別:国指定史跡
指定年月日:平成30年2月13日
所在地等:塩屋町北塩屋(塩屋王子神社)
藤田町吉田(参詣道)
塩屋王子跡
塩屋王子跡
塩屋王子跡(御所の芝跡)
塩屋王子跡(塩屋王子祠前碑)
愛徳山王子跡北東参詣道
愛徳山王子跡北東参詣道
概要
熊野参詣道は、霊場「熊野三山」への参詣のために中世・近世を通じて利用された道である。熊野参詣は、10世紀前半から開始、15世紀頃まで「蟻の熊野詣」と形容されるほど盛行した。その後、熊野三山だけを目的とする熊野詣は衰退するものの、民衆による社寺参詣が盛んになる17世紀以後は、多数の西国巡礼者が訪れた。中世に「熊野三山」への参詣に利用された道は、近世には「熊野三山」への参詣をも含む西国巡礼の経路として引き続き盛んに利用されてきた。紀伊路及び中辺路には、参詣道の途中に熊野神の御子神を祀った王子が点在することが特徴として挙げられる。その総数は、時期により変化していたが、数が多いということから、熊野九十九王子として総称された。
御坊市内で2地点(塩屋王子跡・愛徳山王子跡北東参詣道)が国の史跡として指定された。
塩屋王子跡は、「紀伊路」に設けられた熊野九十九王子の一つで、御坊市塩屋町北塩屋の王子川河口部右岸の丘陵上に位置し、現在は塩屋王子神社としてその名残をとどめている。
一の鳥居をくぐり正面の石段を登ったところの広い境内地には後鳥羽上皇の行在所(あんざいしょ)の跡と伝える「御所の芝(ごしょのしば)」、社務所、歌碑などがあり、その奥の一段高いところに社殿がある。石段登り口には江戸時代の儒学者で『紀伊続風土記』編纂の責任者でもある仁井田好古(にいだよしふる・こうこ)の撰文による石碑(塩屋王子祠前碑)がある。部下の勝本瀧右衛門が石面に写し取ったもので、天保6年(1835)に建碑され、塩屋王子に関する地形、風景、歴史等が詳細に記されている。社殿脇には馬場跡が残り、史跡内には、なぎ、イス、ヤマモモなどの老樹がある。なお、江戸時代より「美人王子(びじんおうじ)」という別称をもっている。
塩屋王子跡は、『中右記』にその名が見え王子社の中でも古く、奉幣行事や歌会などが催された記録が残る。また、近世においても熊野九十九王子の一つとして認識され、18世紀以降の石階段碑、石灯籠、王子祠前碑等が残るなど、塩屋王子跡は近世以来の状況が良好に保存されていると評価できる。
愛徳山王子跡北東参詣道は、御坊市藤田町吉田の八幡山の北麓、史跡道成寺の北西約650メートルに位置し、善童子王子跡から愛徳山王子跡に向かう途中にある参詣道である。
参詣道沿いにある愛徳山王子跡については、建仁元年(1201)の『後鳥羽院熊野御幸記』、承元4年(1210)の『修明門院熊野御幸記』に王子の名が記されるなど、鎌倉時代を通してかなり重要な王子であった。現在は、「明治四十一年九月愛徳神社跡地八幡神社合祀」の銘がある石造物が残されている。
愛徳山王子跡北東参詣道は、参詣道の東側に道路が整備され往来は途絶えたものの、現在も往時の面影を残した土道が約150メートル残されている。
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更新日:2023年06月15日