亀山城跡
名称:亀山城跡(かめやまじょうあと)
指定区別:県指定史跡
指定年月日:平成28年3月15日
所在地等:湯川町丸山
亀山城跡遠景
亀山城跡
概要
亀山城跡は、日高地方を拠点として有田・牟婁地方に勢力を伸ばした、室町幕府奉公衆である湯川氏の拠城である。平時の館である湯川氏館跡に対して、詰めの城として亀山城跡は築かれた。日高平野の北端部、標高121mの亀山頂上付近に立地し、亀山の麓には湯川氏館跡が位置する。城の周辺には、東側の尾根に出丸が、北東の鳳生寺裏山に出城である富安城跡が存在する。
主郭部は、頂上部を占める曲輪1とその南に取り付く曲輪2であり、周囲に土塁とその下に切岸を巡らせる。曲輪1は長さ約40m、幅約25mの長方形状を呈し、曲輪2は東西方向に長い台形状を呈する。主郭部の周囲を巡る大規模な土塁は、天正期に構築される特徴とみられる。曲輪1と曲輪2は斜路で結ばれ、曲輪2の西及び南には虎口が認められる。西虎口が搦手、南虎口が大手に係る虎口と判断される。主郭部の周辺には曲輪3~5のほか、南東側に伸びる尾根筋に造られた「二之丸跡」とされた曲輪群が存在し、東側には厳重に曲輪が配される。また、北東方向の尾根筋は開墾による削平が著しいが、山腹を巡るように階段状に曲輪が認められる。さらに、西方向の尾根筋や北方向の尾根筋にも階段状に築かれた大小の曲輪が多数認められる。
このように亀山城跡は、頂上部に大規模な土塁や高い切岸を巡らせる2段の主郭部と、派生する小尾根部上と山腹を取り巻くように長く伸びる腰曲輪及び帯曲輪を階段状に配置する構造をもつ。惣廻は2キロメートル程度となり、日高郡誌に掲載されている『紀伊国古城並道法海路船懸帳』の内容のとおり、県内最大規模を誇る中世山城である。
平時の館である湯川氏館跡は、各地の守護所に匹敵する規模と構造をもち、亀山城跡についても、曲輪の総面積や範囲が広く、詰めの山城として相応しい規模をもつ。平時の館と詰めの山城が一体化するあり方は「根小屋式城郭」と呼ばれ、戦国期における武家の拠点の典型例として挙げられるが、武家の領域支配が低調であった紀伊国内ではこうした事例は少ない。
亀山城跡は、中世末期に日高地方を拠点として勢力を伸ばした湯川氏の軍事力を示す城跡として学術的価値は極めて高い。
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更新日:2023年06月15日