善童子王子跡

更新日:2023年06月15日

名称:善童子王子跡(ぜんどうじおうじあと)

指定区別:市指定史跡

指定年月日:昭和45年5月12日

所在地等:湯川町富安

善童子王子跡

善童子王子跡

善童子王子跡遠景

善童子王子跡

善童子王子跡

善童子王子跡近景

概要

 善童子王子跡は、熊野三山への参詣道「紀伊路」に設けられた熊野九十九王子社の一つである。日高町荊木から御坊市に入り富安川に沿って下っていく途中の右手山裾、湯川町富安字宮ノ前に位置する。
 善童子王子は、「連同持」「田藤次」「善道子」「出王子」「出童子」「富安王子」などの別名があり、王子社の中でも最も多い。明治時代に湯川神社(御坊市湯川町小松原)に合祀された。
 『中右記』(天仁2年(1109)10月19日)において、「・・次参連同持王子許奉幣王子名也此王子許有大般若経・・」や『後鳥羽院熊野御幸記』(建仁元年(1201)10月10日)において、「…次又参王子田藤次云云…」と記されている。これらのことから、平安時代末期には善童子王子が所在していたことがわかる。また、『中右記』に大般若経を有しているとあり、仁和寺蔵の『熊野縁起』(嘉暦元年(1326))には、准五体王子の一つにあげられているなど、王子社の中でも歴史が古く重要な位置を占めていた。
 近世以降の記録を見ると、『紀伊続風土記』には「善童子王子権現社 境内除地 本社方一間 長床 村中往還の側にあり荘中四箇村の氏神なり。土人出王子或は出童子と称す。・・田藤次は善童子と称近くの道路の順にもかなへば此の社ならむ。古は大社にして湯川家より社領一町六段。神主の領一町三段九畝余を寄附せしに豊太閤南征以後没収すといふ。境内に薬師堂あり。」と記され、『紀伊国名所図会』には「富安王子社」として「下富安村往還にあり。荘中四箇村の産土神なり。善童子とも又出王子とも出童子とも称す。田藤次の訛なるべし。舊湯川家より社領を寄せしに、天正年中没収すといふ・・」とある。そのほか、安永7年(1778)の『天田組大庄屋覚書』(日高郡誌所収)には馬場があり、馬駈けが行われたと記され、寛政4年(1792)の日高郡天田組『寺社調帳』には、御神体が木像であり、薬師堂(1間半四方)、長床(2間5間)などが記されている。

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